2022/04/01 13:21
直人:先ほど、松本民藝さんの家具は使い込んでいくと風合いが出て、その人なりに変化していくというお話がありました。漆やニスのラッカー仕上げは経年変化をもたらすとおっしゃっていましたね。ラッシ編みの家具も使っていくと風合いが出てくるものですが、最初にラッシ編みを任されたのはおばあさまだったんですよね。
池田:当時は人手がなかったので、創業者の祖父に頼まれてやることになったんです。職人さん達の奥さんにもパートで来てもらってね。最初は工場の中でやっていたけれど手狭になってきて、昭和43年に生活館という場所を作ったのを機に、そちらでやるようになりました。
直人:生活館は、今は資料館になっていると聞きましたが、どんな場所だったのですか。
池田:職人さん達のための寮でした。そこに昔から使われてきた家具や道具をたくさん集めて、それを使って暮らしながら、基本的な感覚を身につけるのが目的の場所だったんです。一階に土間があって、祖母達はそこで仕事をしていました。小さい頃に学校から帰ってくると、みんながそこで編んでいて、いぐさの香りがするんですよね。私の祖母は当時としては珍しく恋愛結婚で、いいところのお嬢さんなのに駆け落ちしてきたらしいので、まさかそんなことをやらされるとは思っていなかったでしょう。ばあちゃんの手はゴワゴワで、それがいぐさの香りとともに記憶に残っています。
志穂:記憶のなかの大切な風景ですね……。
直人:ラッシ編みの椅子は、松本民芸家具で最初に作り方を研究なさったものだとおっしゃっていましたよね。そのいぐさを、最近ではご自身達で育てるようになったそうですね。
池田:そうなんです。ラッシ編みの材料を研究する中で三四郎たちは、きっと荷物の発送に使われていた菰か何かに出会って、これならいけると思ったんでしょう。使うことにしたいぐさは、浜松の特産品で、60年以上浜松から買い付けていました。ただ、世の中が変化してきて、いぐさを生業にしてきた人がどんどん辞めてしまうようになりました。うちの頼んでいた農家は細々と続けてくれていましたが、それでも年々単価が上がっていきました。
直人:材料が高くなるのは悩ましいですね。
池田:材料が本当に少なくなっていたので、一時はラッシ編みの椅子を一脚作ると赤字になりました。でもカタログに載っているからほしいと言ってくださるお客様がいる。そうすると遠巻きに断るんです。「5年かかります」って。実際、そのくらいかかっていましたし。欲しいと言ってくれたのに売れないのは切なかった。展示会をやってもラッシの家具は飾れないけれど、木だけだとやはり重い感じがしましたし。やはり、ラッシのようなテクスチャーが入ると優しい感じが出るんですよね。悩んでいるところにずっと頼んでいた農家の方から健康上の理由でやめたいと言われたんです。
直人:うわあ……。
池田:ラッシは松本民芸家具がずっと続けてきたもの。自分でも小さい頃から使ってきましたし、とにかく丈夫で美しい。民衆工芸という意味で象徴的で、草のより方や草の素材によって同じように編んでも表情が変わるから、自然の恩恵が目に見えるんです。松本民芸家具を多くの人に伝えていく戦略的なツールとしても、絶対になくせないと思いました。けれど窮地に陥ってしまった。なんとか繋げなきゃいけないと思ったから、自分たちで栽培しようと言って、辞めるとおっしゃる農家から株をもらってトラックに積んで翌日田んぼに植えました。それが5年前の11月です。
志穂:5年前からということは、4年前からは製品になったんですか。
池田:できなかった。最初はうまく育たなかったんです。松本は寒いし、いぐさは塩地で育てなければ丈夫にならない。そもそもずっと「いぐさが松本なんかで育てられるわきゃねぇ」と言われていたんですよ。でも山歩きが好きで沼地に行くと、うちで使っている草が自生している。だからやってみることにしたんです。でも育て方がわからない。そもそも浜松でも暖かくなってきた2月に植え替えするのに、松本に、11月に、植え方もわからないのに植えちゃった。スタートからしてデタラメ。多年草なので、翌年の春に芽が出なかったら諦めようかとも思っていたんですが芽が出てきたから、そこから試行錯誤を重ねてきました。
直人:辛くも生き残ったという感じだったのですね。
池田:そうなんです。当たり前だと思っていたものが忽然となくなって作れなくなってしまう。ものづくりをしていると、そんなことがいっぱい起きるんですよね。
志穂:私が使っている粘土は愛知と岐阜の間の産地で取れるものなのですが、粘土屋さんにもう取れなくなると言われました。そこはどうなるんですかと聞いたら、大型ショッピングセンターが建つと言われたんです。
池田:再開発みたいな形で売られてしまったんですね。後継者不足、相続、いろんな理由から、ものづくりが難しくなっています。
直人:産地によっては粘土が枯渇して材料が使えなくなることも起きていますね。地元の粘土が枯渇してしまったから、ほかの産地のものとブレンドするなんてことが起こっています。
池田:残念ですよね。それぞれの地域に根ざした産業がなぜ生まれてきたかというと、必然性があるからです。その必然性は地域の自然によるものだった。松本で木工が盛んだったのは木ばかり生えていて、盆地で川が流れ込んでいて運搬もしやすかったからです。だから木工が盛んになるのは当然で、それが一番大事なことなんです。焼き物も、その土地の土を使うから表情が生まれるはずです。けれど今はインターネットで土が買える時代になってしまって、産地不明の益子焼なんてものがたくさんできてしまっています。
マーティン:たくさん見ますね。
池田:それはダメなんですよね。偽物だからダメだということももちろんあるんですが、地域の資源を使うからこそ、循環型で地域に活性をもたらす産業になる。昔は流通方法がなかったからそれが成り立って、だからこそできあがったものが意味を持ったんです。稲作が豊富な新潟は藁がたくさんあるし、冬は雪が多くてやることがないから藁細工が盛んでした。そこに、民芸としての美しさが生まれてきたんです。それがなくなっていくのは日本のものづくりが死んでいくのと同じです。
マーティン:今はサステナビリティという言葉が盛んに語られていますが、本当はそういったことが重要なんですよね。
池田:近年、クラフト、民芸、工芸に注目が集まって、さまざまな人が興味を持ち、雑誌などでも紹介されています。でもそれは表面的な栄華であって、今は危機的な状況です。足元を見直さないと、10年先には日本のものづくりは成り立たないかもしれない。その恐怖をどれだけの人が気づいているのか……。困っているだけでは解決策にはつながらないけれど、多くの人に知ってもらうことで、何かきっかけがつかめるかもしれないと思っています。
直人:そういった目的で、お客さんとコミュニケーションを取ることはあるのですか。お話がおもしろいのでファンミーティングなどもできそうだなと思いました。
池田:現状ではしていないです。でも私たちはユーザーさんと直接お電話で話したり、修理のために全国に出張したりと直接繋がっている会社なので、日常的にお話ししているとも言えます。販路を広げるのであればいろんな家具問屋さんがあるので卸していけば売り上げは上がるでしょうが、どんなふうに売られるのか、どんな説明を受けてお客さんが買われていくのかわからないのは、怖いことですよね。値引きされて売られていくのかもしれませんし。自分たちの作るものに愛着を持って、直接お客様と強固に繋がっていかないと、これからはいけないと思っています。でも弁が立たないからファンミーティングをやれるだけのスキルはないんですよねぇ。
志穂:今回、めちゃくちゃいいお話をたくさん教えていただいて。ファンミーティングはできますよ!
池田:ラッシに関する何かはやってみたいんです。希望者に栽培体験をしてもらうとか。自分たちでやっていると大変で、人手がほしいし(笑)。
直人:入口としてすばらしいですよね。子供達でも参加できますし。
池田:自分たちとしても企画しやすいですしね。1、2日で完結する企画じゃないと成り立たないですし。たとえばカンナ持ってものを作ってもらう企画だと、半月いてもらわないとできない(笑)。
志穂:修行レベルですね(笑)。ラッシはとても良さそうです。
[ Vol.5 ]に続く...
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